吉備真備周回コース(40km)


遍照院

神遊山神宮寺遍照院と称し、残された記録によれば、花山天皇の御叡願により寛和元年(西記985)智空増正の開創せられた真言宗御室派寺院であり、延久元年(西記1069)後三条天皇の勅願所に列せられた。住古は31ヶ寺の末寺を有する当地方に於ける唯一の真言宗御室派直末の中本寺であった。天正年間には毛利家より寺領2千石を与えられ、伽藍を完備し、寺運も興隆したが、その後時勢の推移により寺門も次第に衰微するに至る。江戸時代には領主池田家より寺領50石を与えられ、末寺も江戸末期には23ヶ寺となった。昭和初期には18ヶ寺を有したが、寺社法が変更されたことに伴い、現在は末寺を持たない御室派別格本山に列する。創立以後、数度の火災や水害のため、什宝物書類が流出し、正確な古記録を残さぬことは残念であるが、広大な境内とその堂塔伽藍の配置を見るにつけても格式高い昔の面影を偲ぶことができる。


倉敷大橋

平成178月1日に旧船穂町・旧真備町が倉敷市と合併し、平成281月に完成した。この橋梁は、倉敷市が高梁川に架ける初めての橋梁で、市が整備する橋梁の中で最長の長さのものとなる。また、環境最先端都市を目指す倉敷市では、橋梁が1年の四季を通じて高梁川の自然環境になじむ色を採用することとした。

橋名は、市域のさらなる一体化と発展を担う象徴となってほしいという思いと、市が架設する最大の橋梁であることから「倉敷大橋」に決定した。


一の口水門

今から300年以上も前の延宝年間に、当時の備中松山藩主水谷氏によって、パナマ運河より約240年前に設けられた。ここから約350mk下流には「二の水門」も設けられ、高梁川と水路との間に生じる水位差の調整を行う閘門式運河として、17世紀の後半から20世紀の初めまで長きに亘って水運に活用されることになる。玉島湾までの鵜悪10kmのルートは通称「高瀬通し」と呼ばれ、高瀬船による物資運輸のことを今に伝える重要な遺跡である。


ふなおワイナリー

ワイナリーでは倉敷市内産のマスカット・オブ・アレキサンドリアを原料としたワインづくりを行っている。施設内ではマスカット栽培の歴史やワインづくりの様子がご覧いただけるほか、醸造した甘口、中口、辛口等各種タイプのワインをお楽しみいただける試飲コーナーもある。

 


マスカット

エジプト原産の非常に古い品種で、世界三大美女の一人として名高い女王「クレオパトラ」も好んで食べていたと言われ、「果物の女王」の異名を持つ「マスカット・オブ・アレクサンドリア」。その名は、地中海沿岸のアレキサンドリア港から各地へ広まったことに由来するといわれており、倉敷市の生産者の間では、通称「アレキ」と呼ばれている。原産地は、高温・乾燥の地であり、日本での栽培は当初困難だったが、先人による温暖、多照、少雨の瀬戸内気候を活かした栽培技術の研究や試行錯誤の結果、生産130年を超える長い歴史と、全国髄一のシェア(50%以上)を誇る、岡山県を代表する特産品となっている。

箭田大塚古墳

県下三大巨石古墳のひとつ。内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれている。

明治34年の調査で、須恵器や土師器などとともに、権力の強大さを示す刀剣・馬具・金環・勾玉などが発見された。

石室全長は19.1m、うち玄室の長さ8.4m、幅3m、高さ3.8m。従来は前方後円墳と帆立貝式古墳などと言われてきたが、昭和58年の確認調査で周溝が検出され、直径54m、高さ7mの円墳であることが判明しており、6世紀後半の築造と考えられている。


吉備真備公

菅原道真と並ぶ奈良時代の大学者、政治家。地名からもわかるように、真備は戦後の六町村合併の際、吉備真備公にちなんでつけられたもの。22歳で遣唐留学生に選ばれ、約18年間にわたりその天才的な頭脳で儒教・歴史・天文学・音楽などのあらゆる学問を修め、帰国後は奈良時代の朝廷でその知識を政治・文化・習慣に広く反映させた。50歳を過ぎて再び遣唐副使として唐に渡り、高僧・鑑真を伴って帰国した。「日本の留学生で、唐で名をなした者は吉備真備と阿部仲麻呂の二人のみである」とまで称された。囲碁の普及、片仮名の発明にも寄与したといわれている。地方の豪族出身としては異例の右大臣に任ぜられ、政治家としても手腕を発揮した。


横溝正史疎開宅

横溝正史とその一家は、太平洋戦争末期の昭和20年をはじめ、東京から岡田村桜に疎開、約3年をこの地で過ごした。軍部の圧力で探偵小説執筆を禁じられていた当時、慣れない農作業のかたわら地元の人々と交流。また、密かに海外小説の原典にあたり、いつの日か

日本発の本格推理小説を書きたいと構想を温めていた。そして終戦直後に発表した「本陣殺人事件」は疎開先一帯を舞台にしたもので、この作品で初めて、日本の名探偵の代名詞、金田一耕助が登場した。建物のあちこちにも今も当時の面影を残し、ことに庭のたたずまいは当時のまま、

筆をとったであろう座敷や土間、縁側もかつてのままの姿を見学できる。


真備ふるさと歴史観

江戸時代の真備町岡田藩支配時代の古文書を保存した文書(もんじょ)館。当時の村の支配や村人の暮らし、産業興しの工夫、災害を防ぐ努力など、祖先の足跡に触れることができる。また、真備町ゆかりの推理作家、「横溝正史コーナー」も設置している。